沈維敬とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 沈維敬の意味・解説 

沈惟敬

(沈維敬 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/05 05:03 UTC 版)

沈 惟敬(しん いけい、拼音:Shěn wéijìng、シェン・ウェイジン、? - 1597年万暦25年))は、万暦朝鮮の役(文禄・慶長の役)における使節

人物

嘉興府平湖県の出身。若いときから弁舌に巧みで、明に仕官した。

第一次朝鮮の役(文禄の役)に明の遊撃軍の将軍付きの使節として派遣され、小西行長宗義智らとともに和議交渉を持続したが欺瞞外交によって、アジア各国の混乱を大きくした。

明使として日本に来朝して大坂城豊臣秀吉に面会もしている。しかし、欺瞞外交が露呈して第二次朝鮮の役(慶長の役)の再出兵を招いたため、明に帰国後、万暦帝の勅命によって北京で公開処刑された。

秀吉毒殺説

朝鮮で刊行されたさまざまな野史(私撰歴史書)を集大成して18世紀に編纂された『燃藜室記述』には、「秀吉は沈惟敬によって毒殺された」と記述されている。しかし、年代の辻褄が適合せず信憑性はかなり低い。実際に沈惟敬が来日・離日したのは慶長元年(1596年)であり、秀吉が死亡したのはその2年後(1598年)となる。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「沈維敬」の関連用語

1
16% |||||

沈維敬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



沈維敬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの沈惟敬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS