水川潔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 05:47 UTC 版)
みずかわ きよし
水川 潔
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生誕 | 1891年6月21日![]() |
死没 | 1959年2月8日(67歳没) |
出身校 | 東京帝国大学農学部 |
職業 | 官僚 |
肩書き | 全国穀類工業協同組合・初代理事長 日本穀物検定協会理事長 |
親 |
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水川 潔(みずかわ きよし、1891年(明治24年)6月21日[1] - 1959年(昭和34年)2月8日[2])は、日本の農林官僚であり、全国穀類工業協同組合初代理事長、日本穀物検定協会理事長を務めた。岡山県出身。
経歴
生い立ち
1891年(明治24年)岡山県士族の父・水川龍太郎と母・與禰の長男として生れる[1]。その後、旧制東京府立第一中学校(現:東京都立日比谷高等学校)[3]、旧制第二高等学校理科丙類を経て[4]、1921年(大正10年)4月、東京帝国大学農学部を卒業する[5]。卒業後、農商務省へ技師として就職する[1]。
官僚として
農商務省で技師として入省し、1925年(大正14年)に、農林省(現:農林水産省)と商工省(現:経済産業省)に分割さたのに伴い、農林省へ所属する。1926年(大正15年)34歳のとき、山形県にある酒田米穀事務所長となる[1]。1930年(昭和5年)には、欧米やインドの穀倉地帯を視察するため、1931年4月まで長期出張を行う[1]。帰国後、大阪米穀事務所長となり、その後、本省の食料管理局第二部長[6]を経て、第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)製粉工業会の設立に伴い、会長に食糧管理局の水川が就任し、製粉技術の改良発達に務めた[7]。
その後、1950年(昭和25年)11月30日、全国穀類工業協同組合創立総会が東京・上野精養軒で開催され、水川が初代理事長に選任される[2]。この他、日本穀物検定協会理事長等も務めた[8]。
1959年(昭和34年)2月8日、67歳で死去する[2]。
脚注
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