民衆出版社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/11 14:28 UTC 版)
| 業種 | 出版業 |
|---|---|
| 設立 | 1913年 |
| 創業者 | ニコライ・ニコラエヴィチ・ヴォリンツェフ |
| 本社 | ロシア帝国 モスクワ |
民衆出版社(みんしゅうしゅっぱんしゃ、露: Народное издательство)は、十月革命前の帝政ロシアの大規模な書籍印刷会社。正式名称は株式会社民衆出版社。同社はモスクワで登記され、運営された。
設立の背景
20世紀初頭までに、ロシアでは印刷物への関心が年々急速に高まり、本が一般大衆の文化への渇望を満たす主な手段であった。印刷物の消費者は、徐々に労働者、都市の小ブルジョア、読み書きのできる農民になっていった。ロシアにおける資本主義の発展による経済成長の過程で、さらに、公教育の普及、公共の閲覧室と図書館の開設が読書の活発化を促進した。何千人もの読者数の増加に伴い、発行部数が増加した。これにより、書籍の制作コストが削減されたことにより、人々にとって本はより身近なものになった[1]。
沿革
民衆出版社は、モスクワの貴族ニコライ・ニコラエヴィチ・ヴォリンツェフによって設立され、レフ・トルストイの息子の一人で、作家、ジャーナリスト、教師であるイリヤ・リヴォヴィチ・トルストイ(1866-1933年)が、同社の取締役会長を務めた。
会社の定款には、「民衆出版社」は「あらゆる種類の印刷物、教科書、視覚教材を出版し、自社および委託によりそれらを販売し、著作権、音楽著作権、美術著作権を運用するために」設立された。同社の資本金は100万ルーブルと定められ、10,000株(1株あたり100ルーブル)に分割された[2]。
脚注・参考文献
- ^ “Московский государственный университет печати. О. В. Андреева. «КНИЖНОЕ ДЕЛО В РОССИИ В XIX — НАЧАЛЕ XX ВЕКА». Учебное пособие”. 2017年7月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月17日閲覧。
- ^ “HisDoc.ru История России в документах”. 2017年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年7月17日閲覧。
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