武市甚七
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武市 甚七(たけち じんしち[1]、1712年〈正徳2年〉- 1776年4月4日〈安永5年2月16日〉)は江戸時代中期の彫刻家。名は高明。号は万里、永念[2]。
生涯
正徳2年(1712年)に土佐国高知城下で生まれる[3]。竹篭細工を業としたが、彫刻が巧みで土佐の左甚五郎と言われた[4]。土佐藩第4代藩主であった山内豊昌の根付を彫り、高知城本丸や二の丸、三ノ丸御殿の欄間を彫った功により、苗字を許された[2]。
かつて高知城下にも山車の台上に人形や歌舞伎の場面を飾りつけた花台と呼ばれる豪華な山車のようなものがあった[4][5][6]。甚七は八百屋町の花台に久米仙人の彫刻を飾り、世人を感嘆させた[4][5]。安永5年(1776年)に土佐国高知城下にて65歳没[2]。墓所は潮江旧清水庵山上にあったが、1928年(昭和3年)に改葬され、現在の塩屋崎に移されている[2]。
脚注
- ^ 『歴史人名よみかた辞典』1989年。doi:10.11501/13215660 。2025年9月15日閲覧。
- ^ a b c d 『土佐の墓 その2』1987年。doi:10.11501/13250912 。2025年9月15日閲覧。
- ^ 『土佐史談 (198)』1995年3月。doi:10.11501/7913141 。2025年9月15日閲覧。
- ^ a b c 『土佐遺聞録』1909年。doi:10.11501/766511 。2025年9月15日閲覧。
- ^ a b 『高知市史』1973年。doi:10.11501/9769371 。2025年9月15日閲覧。
- ^ “「よさこい祭り20年史」から読み解くルーツ② ~流し踊り、地方車のルーツは「花台」? ~”. よさこい文化協会 (2020年9月22日). 2025年9月15日閲覧。
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