桜井一久とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 桜井一久の意味・解説 

桜井一久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 14:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

桜井 一久(櫻井、さくらい いっきゅう、1858年5月20日(安政5年4月8日[1])- 1910年明治43年)6月18日[2][3][4])は、明治期の裁判官弁護士政治家衆議院議員

経歴

加賀国石川郡金沢本多町[5]石川県石川郡金沢本多町、金沢区を経て現金沢市[4]本多町)で、加賀藩士の家に生まれた[5]。金沢変則学校で普通学を修め[5]、さらに金沢専門学校で学んだ[5]。1876年(明治9年)上京して司法省法学校生徒となり[5]、1885年(明治17年)7月に卒業した[2][3][4][5][6]

司法省御用掛に任官し民法局詰員となる[3][4][5][6]。1885年(明治18年)12月、神戸始審裁判所(現神戸地方裁判所)詰に転じ[5]、1886年(明治19年)6月、同判事となる[5][6]。1890年(明治23年)6月、松江始審裁判所(現松江地方裁判所)判事に発令されたが赴任せず退官した[5][6]。同年9月、代言人免許を受けて神戸市で開業[5]。1893年(明治26年)弁護士法の施行により弁護士となり[2][5]、その人柄と献身的な活動で市民の人望を集めた[2]

1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙(兵庫県神戸市、無所属)で当選[2][7]。桜井本人は「無運動」を主張して選挙期間中は金沢市の友人のため応援演説に向かい神戸市を不在にしていたが、熱狂的な神戸市民の応援で当選した[2]又新会に入り[6]、その後、立憲国民党に所属して衆議院議員に1期在任[3][4]。1910年、神戸市会議員にも当選したが[6]、議員在任中の同年6月に脳溢血により死去した[6][8]

脚注

  1. ^ 衆議院『第二十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報号外〉、1908年、4頁。
  2. ^ a b c d e f 『兵庫県人物事典 中巻』51-52頁。
  3. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』611頁。
  4. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』211頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『近畿弁護士評伝』305-307頁。
  6. ^ a b c d e f g 『明治過去帳』新訂初版、1168頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』46頁。
  8. ^ 『官報』第8098号、明治43年6月21日。

参考文献

  • 越山鬼城『近畿弁護士評伝』潜竜館、1900年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『兵庫県人物事典 中巻』のじぎく文庫、1967年。
  • 大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  桜井一久のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桜井一久」の関連用語

桜井一久のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桜井一久のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桜井一久 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS