桂昌寺_(豊橋市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 桂昌寺_(豊橋市)の意味・解説 

桂昌寺 (豊橋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 07:49 UTC 版)

桂昌寺
所在地 愛知県豊橋市老津町大津中57
山号 天香山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 観世音菩薩
創建年 1204年(元久元年)
開基 快哉少林和尚
正式名 天香山桂昌禅寺
法人番号 8180305002674
テンプレートを表示

桂昌寺(けいしょうじ)は、愛知県豊橋市老津町大津中にある臨済宗妙心寺派仏教寺院。山号は天香山。開創は1204年元久元年)。当初は桂昌庵という名で真言宗の尼寺であった。

住尼明叟珍公首座大姉の時に宋西蜀の帰下僧、蘭渓道隆が鎌倉に赴く途中この地に着く。住尼が蘭渓道隆に深く帰依し、当寺を開山することを乞うた。しばらくこの地に滞在した道隆はあまねく四来の僧俗を教化、伽藍を修造し天香山桂昌寺と名付けた。

本尊は聖観世音菩薩坐像。恵心僧都源信作と伝えられる。同じ厨子内に古仏地蔵尊が祀られていたが、現在は別々に安置されている。


境内

  • 山門
  • 本堂
  • 地蔵堂 - 延命地蔵、観音、行者、秋葉尊などを祀っている。
  • 鎮守堂

その他

鎌倉坂
蘭渓道隆が鎌倉に向かう際、里人が村境まで見送った。その村境にある坂を「鎌倉坂」と呼ぶようになった。(享和3年(1803年)大津名 蹤綜録)
老津小学校の誕生時の校舎
1873年(明治6年)第二大学区第十中学区十五番小学校として老津小学校が誕生。そのときの校舎は、桂昌寺の本堂を使った[1]
アメリカ橋
建築当時地域で初めてとなる石製の橋をかけたところから「アメリカ橋」と呼ばれる。
現在は自動車が通行できるようアスファルトで覆われている。
寿泉寺
年代は不明だが、桂昌寺の松山和尚が同村の長松山太平寺(現: 老津町東高縄204)の末寺として開山した。
延宝8年(1680年)現在地に移転し、元禄6年(1693年)に寿千寺となり、正徳5年(1715年)瓦町の火災で類焼したのを機に寿泉寺と改めた[2][3]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 豊橋市立老津小学校 沿革史”. 豊橋市立老津小学校. 2013年4月12日閲覧。
  2. ^ 東海道53次を歩き・見て・食べる旅”. 2013年4月12日閲覧。
  3. ^ 3重塔(明治以降)”. 2013年4月12日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「桂昌寺_(豊橋市)」の関連用語

桂昌寺_(豊橋市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



桂昌寺_(豊橋市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの桂昌寺 (豊橋市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS