柳登
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柳 登(りゅう とう、生年不詳 - 822年)は、唐代の官僚。字は成伯[1][2]。本貫は蒲州河東県[2]。
経歴
右司郎中・集賢院学士の柳芳の子として生まれた。若くして学問をたしなみ、弟の柳冕とともに該博な知識で知られた。六十数歳になって仕官し、膳部郎中に累進した。元和初年、大理寺少卿となり、刑部侍郎の許孟容ら7人とともに、憲宗の命を受けて開元以後の勅格を改定した。二度異動して太子右庶子となった。老病のため秘書監に転じたが受けず、右散騎常侍として致仕した。長慶2年(822年)、死去した。享年は九十数歳。工部尚書の位を追贈された[1][2]。
子に柳璟があった[2]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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