東亜国内航空381便胴体着陸事故とは? わかりやすく解説

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東亜国内航空381便胴体着陸事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 00:59 UTC 版)

東亜国内航空 381便
同型機のYS-11
出来事の概要
日付 1979年昭和54年)7月21日
概要 左後輪が出なかったことによる片脚着陸
現場 日本東京国際空港(羽田空港)
乗客数 67
乗員数 4
負傷者数 0
死者数 0
生存者数 71 (全員)
機種 日本航空機製造YS-11
運用者 東亜国内航空(TDA)
機体記号 JA8656(あかし号)
出発地 東京国際空港
目的地 南紀白浜空港
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東亜国内航空381便胴体着陸事故(とうあこくないこうくう381びんどうたいちゃくりくじこ)は、1979年昭和54年)7月21日羽田空港で発生した東亜国内航空 (TDA) 381便の航空事故片脚着陸事故)。

事故の概要

1979年7月21日8時38分ごろ、東亜国内航空381便は南紀白浜空港にむけて羽田空港を離陸した。離陸後に車輪格納(ギアアップ)を行った際に本来すぐ消えるはずの車輪ライトが左後輪だけ僅かに遅く消えたという[1]。違和感を覚えた機長は、念のためにレバー操作でギアダウンしたが、左後輪は格納したまま降りてこなかった。

機長は羽田の管制塔に緊急事態を宣言したがコックピットからは車輪が見えないため状況の確認できず、また単に機器の故障の可能性もあった。そこで機長は管制塔の許可を得て、たまたま381便の近くを羽田に向けて飛行中だったDC-9型機に協力してもらい旅客機としては異例の編隊飛行を行った。DC-9の操縦士による目視で、ギアの格納扉すら開いていないことが明らかとなり、機長は直ちに羽田に緊急着陸することを決意。11時32分ごろに片脚のまま着陸態勢に入った[1]

着陸そのものはスムーズであったが、速度が低下すると機体は脚のない左後方に大きく傾いて胴体を滑走路に激しく擦り、滑走路から外れてオーバランする事態となった。しかし着陸は無事成功し、衝撃による火災も免れた[1][2]

事故原因

事故の原因は格納扉の上部機構部でこの扉が整備の際に誤った組み立てをされたこともあり、車輪を吊り上げロックする「アップロックフック」という部品が金属疲労を起こし折れて割れてしまったことだった[1]

類似事故

脚注

  1. ^ a b c d 航空事故報告書”. 国土交通省. 2019年9月29日閲覧。
  2. ^ 概要”. 運輸安全委員会. 2019年10月17日閲覧。



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