李諒_(唐虔王)とは? わかりやすく解説

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李諒 (唐虔王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 10:12 UTC 版)

李 諒(り りょう、生没年不詳)は、皇族。虔王。

経歴

徳宗の四男として生まれた。大暦14年(779年)、虔王に封じられた。開府儀同三司の位を受けた。貞元2年(786年)、蔡州節度大使・申光蔡観察等使となり、大将の呉少誠が留後をつとめた。貞元10年(794年)、李諒は朔方霊塩節度大使・霊州大都督となり、朔方行軍司馬の李欒が霊州左司馬・知府事・朔方留後をつとめた。貞元11年(795年)9月、横海軍の大将の程懐信が横海軍節度使の程懐直を追放した。10月、李諒は横海軍節度大使・滄景観察等使となり、都知兵馬使の程懐信が留後をつとめ、李諒は宮中から出なかった。貞元16年(800年)、徐泗濠節度使の張建封が死去し、徐州で軍乱が起こると、李諒は徐州節度大使・徐泗濠観察処置等使となり、張建封の子の張愔が留後をつとめ、やはり李諒は宮中から出なかった[1][2]

脚注

  1. ^ 旧唐書 1975, p. 4044.
  2. ^ 新唐書 1975, p. 3625.

伝記資料

参考文献




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