李暹とは? わかりやすく解説

李暹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/05 07:11 UTC 版)

李 暹(り せん、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。董卓の部将李傕(兄の子)。同じく李の兄の子の李利とは兄弟とも従兄弟とも考えられる。

正史の事跡

姓名 李暹
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
字・別号 〔不詳〕
本貫・出身地等 涼州北地郡泥陽県(現在の甘粛省慶陽市寧県
職官 〔不詳〕
爵位・号等 -
陣営・所属等 李傕
家族・一族 叔父:李傕
兄弟:李利〔従兄弟?〕
従弟:李式(李の子)、胡封(おばの子)
従叔父:李応〔李の従弟〕

興平2年(195年)4月、李は、郭汜献帝を手中にしようとしているのを知り、李暹を派遣して自らの陣営に迎え入れさせた。この際に、宮殿からの献帝の移動に太尉楊彪が異論を唱えたが、李暹は一切気に留めることなく、献帝を御車に乗せて李の陣に護送した。この件を最後に、李暹は史書から姿を消す。

物語中の李暹

小説『三国志演義』でも、史実とほぼ同様の行動をしている。しかし曹操が献帝を保護すると、李別(李利の『演義』での名)と共に李軍の先頭に立って献帝を奪い返そうとしたが、曹操の部将・許褚に、李別もろとも一刀の下に斬り捨てられている。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「李暹」の関連用語

李暹のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



李暹のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの李暹 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS