李僴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 07:04 UTC 版)
李 僴(り かん、生年不詳 - 762年)は、唐の皇族。兗王。粛宗の六男[1]。
経歴
粛宗と韋妃のあいだの子として生まれた[2][3]。母の兄の韋堅が李林甫の誣告により殺害されると、当時皇太子であった粛宗は韋妃を別宮に置いた。李僴は天宝年間に潁川郡王に封じられ、太子詹事同正員に任じられた。至徳2載(757年)12月、兗王に進封された。乾元3年(760年)4月、北庭節度大使を領した。宝応元年(762年)、死去した[4][5]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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