李佋
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李 佋(り しょう、753年 - 760年)は、唐の皇族。恭懿太子。粛宗の十二男[1]。
経歴
粛宗と張皇后のあいだの子として生まれた[2][3]。至徳2載(757年)、興王に封じられた[1][4]。乾元3年(760年)4月、鳳翔節度大使とされた[5][6]。粛宗と張皇后に最も愛され、李俶(後の代宗)に代わる皇嗣に望まれた。上元元年(760年)6月26日、死去した。享年は8。7月、皇太子の位を追贈され、諡は恭懿といった。11月、高陽原に葬られた[7][4]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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