本荘季彦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 本荘季彦の意味・解説 

本荘季彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/08 01:33 UTC 版)

本荘 季彦(本庄 季彦、ほんじょう すえひこ、1865年〈慶應元年2月?[1]〉 - 没年不詳)は、日本の国文学者漢学者教育者立教大学文学部教授、旧制立教中学校教頭、東京府立第三中学校教員、旧制水戸中学校教員[2]。号は掬水

人物・経歴

慶應元年2月[1]福岡に生まれる[2]久留米藩儒学者の本荘星川(本荘直太郎)は祖父[3]

1899年(明治32年)、師範学校にて、中学校と女学校の漢文教員免許を取得し、1900年(明治33年)、旧制水戸中学校に教員として奉職[2]

1901年(明治34年)、東京府立第三中学校に奉職[2]

1904年(明治37年)、旧制立教中学校の教員に就き、1907年(明治40年)、立教大学(専門学校令による)が開設されると、同大学教授に就任し、国語、漢文を講じる[2]

同年、久保田富次郎が立教中学校の教頭を辞任すると、後任として同校の教頭も務めた[4]

1921年(大正10年)に立教大学体育会水泳部が創部されると初代部長を務めた[5][6]

昭和7年度(昭和8年/1933年3月末)をもって、岡倉由三郎坂口武之助の2教授とともに定年となったため、立教大学での職務を辞することとなったが、3教授の留任を求める声が高まり、協議の結果、これまでの前例を破って教授職を辞しても講師として、これまでの講義を講じることとなった[2]

主な著作

  • 掬水詩鈔』立教中学校・本荘先生古稀祝賀会 1934年6月

脚注

  1. ^ a b 慶應元年は4月からであり、実際の月日は不明。
  2. ^ a b c d e f 『立教大学新聞 第119号』 1933年(昭和8年)1月23日
  3. ^ 『掬水詩鈔』立教中学校・本荘先生古稀祝賀会,1934年6月
  4. ^ 鈴木 勇一郎「元田作之進と立教学院 : 立教中学校との関わりを中心に」『立教学院史研究』第13巻、立教学院史資料センター、2016年、2-25頁。 
  5. ^ 立教大学体育会水泳部 『水泳部-歴代部長』
  6. ^ 立教大学体育会水泳部 「立教大学体育会水泳部 創部九十周年記念祝賀会」の御礼



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  本荘季彦のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本荘季彦」の関連用語

本荘季彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本荘季彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本荘季彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS