木村崋邦
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木村崋邦(きむら かほう、1903年10月31日-1982年12月25日)は、日本の画家。本名は木村敞(きむら たかし)。
経歴
茨城県竹原下郷(現・小美玉市)出身[1]。1920年に上京し[1]、関田華亭に師事して崋山系花鳥画を学ぶ[1]。1921年、日本南画会に初出品[1]。1922年、松林桂月の天香画塾の塾生となり[1]、主として山水花鳥などを描く。1923年、第1回茨城美術展に初出品[1]。1948年、日本水墨会創立展に出品[1]。1965年、日本南画院評議員に就任[1](1967年同理事[1]、1971年同常任委員[1])。この頃、高松宮殿下から推賞され、志操を一新した[要出典]。1969年、水墨画研究のため、黒曜会を主宰[1]。1970年、第15回日本南画院に「浅春」200号を出品し、その後、東京銀座において、画業50年記念個展を催した[要出典]。高松宮殿下に水墨画を献上した[要出典]。1971年、関東水墨画研究会を主宰[1]。
1982年、神奈川県横須賀市で死去[1]。
作品
- 「オアシス」(横須賀美術館所蔵)
- 「浅春」
- 「白樺湖」
脚注
- 木村崋邦のページへのリンク