有屋峠の戦い
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有屋峠の戦い(ありやとうげのたたかい)は、天正14年(1586年)5月に最上領と小野寺領の境界にある有屋峠で行われた合戦[1]。
天正9年(1581年)、横手城主・小野寺義道の配下であった鮭延秀綱が鮭延城の戦いで敗北し、山形城主・最上義光に降伏し配下となっていた[1]。
天正14年5月8日、勢力回復を図る小野寺義道が最上城への侵攻を開始。最上義光は小野寺勢を最上領と小野寺領の境界である有屋峠で迎撃した。当初は小野寺勢の八柏道為が奮戦し、最上勢を押し続けていたが、5月12日に義光の子・最上義康や楯岡満茂らが奮戦し、小野寺勢は退却した。[1]
出典
- ^ a b c 小和田泰経『戦国合戦史事典』碧水社、2010年4月16日、249頁。ISBN 9784775308011。
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