明人堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 09:41 UTC 版)
明人堂(みんじんどう)は、 1540年(天文9年)、五島列島の福江島(現長崎県五島市)に建てられた廟堂。当時、明の貿易商であった王直が財政難に苦しむ福江領主宇久盛定の通商許可を得た際に、江川城城下の高台に居住地を与えられ、中華街を作る許諾をも得た[2]。その一画に東シナ海航海の安全を祈るために建立したものと伝わる。俗称として「めーじんさー」とも呼ばれる[3]。
- ^ “指定文化財一覧”. 五島市. 2015年8月27日閲覧。
- ^ 島崎晋 (2003-9-23). 中国任侠列伝: 天子恐るるに足らず!. PHP研究所. ISBN 978-4569630397
- ^ a b 敷地内説明書きより。
- ^ “工事実績の紹介(五島明人堂関連)”. オダエンジニアリング. 2015年8月27日閲覧。
- ^ “福江明人堂”. タナカ総合環境設計 (1997年11月). 2015年8月27日閲覧。
- ^ “福江みなとまつり”. 福江商工会議所. 2015年8月27日閲覧。
- ^ 平戸藩の前身にあたる松浦氏領国の棟梁。
- ^ 太田弘毅 (2002-7). 倭寇: 商業・軍事史的研究. 春風社. ISBN 978-4921146511
- ^ a b 石原結實 (2005-9-1). 種子島の鉄砲とザビエル: 日本史を塗り変えた“二つの衝撃”. PHP研究所. ISBN 978-4569664767
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