新延修三
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 03:24 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動新延 修三(にいのべ しゅうぞう、1905年2月2日 - 1985年5月10日[1])は、新聞記者、随筆家。
大阪生まれ。1928年慶應義塾大学卒。東京朝日新聞社入社、学芸部次長、社会部次長、1942年マカッサル支局長、43年ジャワ新聞出版部長。46年2月帰還。8月中京新聞社編集局長に出向。1950年朝日新聞社に戻る。『婦人朝日』『アサヒグラフ』編集長。60年定年退職。随筆雑誌『いさり火』主宰。[2]
著書
- 『ぐらふ記者』有紀書房 1959
- 『朝日の部長さん 朝日新聞を興した人びと』原書房 1972
- 『朝日新聞の作家たち 新聞小説誕生の秘密』波書房 1973
- 『朝日新聞の紛争と村山於藤』永田書房 1973
- 『われらヒラ記者 朝日新聞を築いた人たち』波書房 1973
注
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