支朗時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 21:16 UTC 版)
宝暦13年(1763年)、三河国矢作で橋守園連中の『蛙啼集』に初入選した。 明和2年 - 同3年(1765年 - 1766年)頃、水野万岱の勧めで加藤暁台に入門し。明和期には武藤巴雀など年配の俳人に句を寄せている。明和5年(1768年)『姑射文庫』で初めて枇杷園の号を使用する。
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