懐仁郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 22:26 UTC 版)
懐仁郡(フェインぐん、회인군)は現在の韓国忠清北道報恩郡懐仁面・懐南面および清州市上党区の一部地域にあった郡。
歴史
もともとは百済の未谷県だったが、新羅の景徳王の時、昧谷に改めて燕山郡の領県とした。
高麗の初めに懐仁に改称して1018年(顕宗9年)に清州に属させ、1383年(禑王9年)に監務を置いた。1413年(太宗13年)に県監を置き、1895年(高宗32年)に郡に昇格され、1914年の行政区域改編の時、報恩郡に併合され懐北面となった。
ここの地形は俗離山から伸びた余脈が三面に包まれ、南に流れる末訖灘が錦江と合流する山間盆地をなした。
朝鮮時代には、清州・文義・懐徳などから俗離山の法住寺に行くとき、ここを通って報恩への道が発達した。昧谷山と虎岾山には昔の城があった[1]。
1914年以降
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府令第111号 旧行政区画 新行政区画 懐仁郡邑内面 懐北面 건천리、고석리、눌곡리、용촌리、부수리、송평리、애곡리、죽암리、중앙리 懐仁郡南面 懐仁郡西面 懐仁郡東面 신대리 마구리、마동리、묘암리、용곡리 갈티리、법주리、세촌리、쌍암리、신궁리、신문리、염둔리、오동리、용수리、율산리、차정리 懐南面 금곡리、분저리、용호리、사탄리、서탄리、송포리、신추리、조곡리、판장리 거교리、남대문리、신곡리、어성리、염티리 노성리、은운리 懐仁郡江外面 매산리、법수리、사음리、산수리 懐仁郡北面 清州郡加徳面 계산리、수곡리、시동리
脚注
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