悼公 (邾)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 02:18 UTC 版)
悼公 | |
---|---|
邾 | |
公(周制における爵位は子) | |
王朝 | 邾 |
在位期間 | 前555年 - 前541年 |
都城 | 邾 |
姓・諱 | 曹華 |
諡号 | 悼公 |
没年 | 前541年 |
悼公(とうこう、? - 紀元前541年)は、春秋時代の邾の君主。姓は曹、諱は華。
生涯
紀元前556年、邾の宣公が死去すると[1]、翌年に悼公は即位した。晋・魯・宋・衛・鄭らの連合軍に参加し、斉を攻撃した[2]。紀元前554年、悼公は晋人に捕らえられた[3]。紀元前553年、晋の平公を盟主として澶淵で会盟した。魯の仲孫速に攻撃を受けた[4]。紀元前552年、晋の平公を中心とした諸侯と商任で会合した[5]。紀元前551年、晋の平公を中心とした諸侯と沙随で会合した[6]。紀元前549年、晋の平公を中心とした諸侯と夷儀で会合した[7]。紀元前548年、晋の平公を中心とした諸侯と夷儀で会合し、斉に侵攻した[8]。紀元前541年6月丁巳、悼公は死去した[9]。
脚注
|
|
- 悼公_(邾)のページへのリンク