悟渓寺 (愛知県扶桑町)とは? わかりやすく解説

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悟渓寺 (愛知県扶桑町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/20 22:30 UTC 版)

悟渓寺
所在地 愛知県丹羽郡扶桑町南山名本郷94
位置 北緯35度22分5.5秒 東経136度54分10.6秒 / 北緯35.368194度 東経136.902944度 / 35.368194; 136.902944座標: 北緯35度22分5.5秒 東経136度54分10.6秒 / 北緯35.368194度 東経136.902944度 / 35.368194; 136.902944
山号 大興山[1]
宗派 臨済宗[1]
本尊 十一面観世音菩薩[1]
創建年 1699年(元禄12年)[1]
開山 惟香[1]
正式名 大興山悟渓寺[1]
文化財 扶桑町指定文化財(史跡)[2]
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悟渓寺(ごけいじ)は、愛知県丹羽郡扶桑町南山名にある臨済宗寺院。扶桑町指定文化財。

歴史

惟香を開祖として、1699年元禄12年)に悟渓宗頓の誕生の宅跡にその遺跡を保存するために建立された。当時より臥龍庵と称してその整地を護持してきた。その後一時荒廃したが、1826年文政9年)に悟渓庵が再建された。濃尾地震の折、本堂兼庫裡は倒壊したが、翌年再建された。明治初年、寺籍帳調製の際誤って脱漏があったので、顕法寺第十四世洪獄の発起により、信徒の賛同を求め、1930年大正5年)該庵と号し、翌年臥龍庵となった。そして1942年昭和17年)大興山悟渓寺と改称した。

1977年(昭和52年)9月1日、「悟渓屋敷」として扶桑町指定文化財(史跡)に指定された[3]

悟渓屋敷

1630年寛永7年)、この地に「無縫塔」が建てられた。この石塔には、「悟渓宗頓和尚生産地 寛永七年悟渓宗頓和尚」と刻されている。『悟渓寺記録』では年号や悟渓の年令で1、2年の違いがみられる。悟渓寺は悟渓の没後一時荒廃したが、1826年(文政9年)に伊藤林八、伊藤為吉と顕法寺の連名で悟渓庵再建願を寺社奉行に願い出て、建物を修復している。悟渓は扶桑が生んだ宗教家であるだけでなく、思想家、文化人でもあった。扶桑町立山名小学校の校歌にも、次のように歌い継がれている。

悟渓の禅師の産声は 今も聞ゆる心地して 誠の道を辿りつつ 進むわれらに力あり — 扶桑町立山名小学校校歌

扶桑町教育委員会は、ここを「悟渓屋敷」として1977年(昭和52年)9月1日、扶桑町指定文化財(史跡)に指定した。

脚注

参考文献

  • 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 上』扶桑町、1998年。 
  • 扶桑町教育委員会、扶桑町史編集委員会『扶桑町史 下』扶桑町、1998年。 



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