志岐隆清とは? わかりやすく解説

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志岐隆清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/19 13:59 UTC 版)

志岐 隆清(しき たかきよ、1913年10月6日[1] - 1970年4月24日[2])は、日本実業家

経歴

福岡県出身。1931年福岡県中学修猷館[3]を経て、1934年大分高等商業学校大分大学経済学部の前身)を卒業[1]

志岐工業取締役、富士セロファン取締役を経て、1950年2月東京電気化学工業専務取締役となり、1952年11月社長に就任。1958年7月東京電気化学工業を富士電気化学(現・FDK)に改称する。日本乾電池工業会会長も務めている[1]

脚注

  1. ^ a b c 『人事興信録第24版』(人事興信所、1968年)シ-6頁
  2. ^ 『人物物故大年表 日本人編 Ⅱ(1946-2004)』(日外アソシエーツ、2006年)
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員25頁



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