徳祥寺_(恵那市)とは? わかりやすく解説

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徳祥寺 (恵那市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/10 07:23 UTC 版)

徳祥寺
所在地 岐阜県恵那市岩村町飯羽間188-1
位置 北緯35度22分45.5秒 東経137度34分28.6秒 / 北緯35.379306度 東経137.574611度 / 35.379306; 137.574611座標: 北緯35度22分45.5秒 東経137度34分28.6秒 / 北緯35.379306度 東経137.574611度 / 35.379306; 137.574611
山号 瑞鳳山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 元和年間
開山 瑞林寺七世 竺源玄盛
中興年 享保年間
札所等 恵那三十三観音霊場二十一番
法人番号 2200005009485
徳祥寺
徳祥寺 (岐阜県)
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徳祥寺(とくしょうじ)は、岐阜県恵那市岩村町飯羽間にある臨済宗妙心寺派寺院。山号は瑞鳳山。本尊は十一面観世音菩薩。恵那三十三観音霊場二十一番。

歴史

元和年間(1615~1624年)に、美濃国加茂郡瑞林寺七世の竺源玄盛長福寺として上切塚屋の地に建立した。

寛永2年(1625年)竺源玄盛は長福寺で遷化した。塔所が寺内墓地にある。

享保年間の始め(1716年頃)火災により焼失したため、現在地に移り寺号を、瑞鳳山 徳祥寺に改称した。

天保10年(1829年)に十世住持の大方蘇軫が、本堂と庫裡を再興した。

明治時代に至り、十一世住持石牕志剛の代より妙心寺派に属した。

山門は、明治6年(1873年)に岩村城の城門であった土岐門[1]を移築したものである。

参考文献

  • 『岩村町史』 十八 江戸時代の宗教 3 寺院 徳祥寺 p320~p321 岩村町史刊行委員会 岐阜県岩村町役場 1961年   
  • 『恵那郡史』 第八篇 現代 第四十一章 人文の発展(一) 【各宗寺院】 p612~p619 恵那郡教育会 1926年
  • 『女城主の里 いわむら』 岩村町企画商工観光課 p43 平成5年

脚注

  1. ^ 第二門または、土岐殿門とも言う



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