徳川久子とは? わかりやすく解説

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徳川久子

読み方とくがわ ひさこ

紀州家頼倫の室、茂承の長女和歌をよくす。明治6年(1873)生。

徳川久子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 13:44 UTC 版)

徳川 久子(とくがわ ひさこ、1873年明治6年)11月15日[1] - 1963年昭和38年)12月25日[1])は、紀州徳川家第15代当主・徳川頼倫の妻。父は徳川茂承。母は徳川則子。院号は解脱院

生涯

紀州藩主・徳川茂承の娘として生まれる。母は正室の徳川則子。その後、紀州徳川家第15代当主・徳川頼倫の妻となり、3男(頼貞・宣方・)を出産[2]。妹の孝子・保子と共に紀州徳川家と血脈の継承に尽くした紀州家三姉妹と称され、久子は美人としても知られた[3]

1963年(昭和38年)、病死。享年91。墓所は和歌山県海南市長保寺

著作

『紀の国 : 歌集』南葵育英会, 1963.11

脚注

  1. ^ a b 平成新修旧華族家系大成 下巻』(霞会館、1996年)p.169
  2. ^ 紀伊和歌山藩主家 紀伊徳川氏系譜”. 花筐館<葵の間>. 2023年5月18日閲覧。
  3. ^ 幕末三百藩 : 古写真で見る最後の姫君たち”. 新書マップ. 2023年5月18日閲覧。

 



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