徳宿城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 徳宿城の意味・解説 

徳宿城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 03:00 UTC 版)

徳宿城(とくしゅくじょう)は、茨城県鉾田市にあった日本の城

歴史

平安時代末期頃、徳宿氏の初代親幹によって築城されたとされている。

桓武天皇の流を汲む常陸大掾氏一族の鹿島成幹は長男[1]の親幹を「北部の守り」として徳宿に配し、親幹は徳宿氏を称す。徳宿氏は子孫を安房烟田、菅野谷等に配し、文明18年(1486年)まで9代で約300年間続く。

落城・徳宿氏の終焉

文明18年(1486年)5月、水戸城主の江戸適雅(江戸氏)に攻められる(徳宿合戦)。江戸氏が約2000名[2]に対し、徳宿氏は約300名[2]の劣勢のなか、同族の大掾氏一族の援軍(約1500名)が到着する前に攻め込まれ[2]江戸氏に敗れ落城。城主は戦死し、徳宿氏は9代目の道幹をもって終焉となった。

その後

現在は徳宿城址として、本丸跡は山林神社になっており、木造の祠と石祠が建てられている。南の崖上には徳宿氏事蹟考碑が建てられている。

城址の西側の「塔の峰」と呼ばれる地には徳宿城主代々のがあり、北東約3.3kmの常磐原から西勝下(かつおり)にかけての一帯には「合戦場」や「合戦塚」、「血流れ窪」といった戦いの惨状に由来する地名が残されている。また、那珂西城のIII郭南東角の杉林の中にこの戦での134の首級を葬ったという「首塚」がある。

[3] 主郭は南端最高所で神社境内となっており、その周囲に土塁が残っている。北の二条の空掘は、二郭の西側に位置し、低い 土塁が残され三郭がある。

アクセス

鹿島臨海鉄道 徳宿駅から約1km(徒歩15分)。

関連項目

脚注

  1. ^ 常陸大掾平氏と鹿島鹿島デジタル博物館
  2. ^ a b c 案内板(鉾田市教育委員会)
  3. ^ 常陸・徳宿城(城郭放浪記)”. 城郭放浪記. 2019年12月27日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「徳宿城」の関連用語

徳宿城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



徳宿城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの徳宿城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS