広東の衡州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 06:18 UTC 版)
本節では南朝梁によって現在の広東省北部に設置された衡州について述べる。507年(天監6年)、南朝梁により湘州と広州の一部を分割して衡州が立てられた。581年(太建13年)、南朝陳により衡州の始興郡が分離されて東衡州とされ、残る衡州は西衡州とされた。東衡州は始興郡・安遠郡・盧陽郡の3郡を管轄し、西衡州は陽山郡を管轄した。589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、西衡州は洭州と改称された。600年(開皇20年)、洭州は廃止され、広州に編入された。
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