并州の新興郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/10 07:27 UTC 版)
本節では、現在の山西省北部に設置された新興郡について述べる。 215年(後漢の建安20年)、雲中郡・定襄郡・五原郡・朔方郡が県に降格され、4県を管轄する新興郡が立てられた。新興郡は并州に属した。 晋のとき、新興郡は九原・定襄・雲中・広牧・晋昌の5県を管轄した。恵帝のとき、新興郡は晋昌郡と改称された。ほどなく再び新興郡が設置された。 446年(北魏の太平真君7年)、新興郡は肆州に転属した。永安年間に新興郡は永安郡と改称された。永安郡は定襄・陽曲・平寇・蒲子・驢夷の5県を管轄した。 北斉のときに新興郡が再び置かれた。北周のとき、新興郡は廃止されて、雁門郡に編入された。 582年(隋の開皇2年)、銅川県に新興郡が置かれた。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、新興郡は廃止された。618年(義寧2年)、楼煩郡秀容県に新興郡が置かれた。 同年(武徳元年)、唐により新興郡は忻州と改められた。
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