常盤山小平治_(幕末)とは? わかりやすく解説

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常盤山小平治 (幕末)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 03:33 UTC 版)

常盤山 小平治(ときわやま こへいじ、1826年文政9年〉 - 1869年10月2日明治2年8月27日〉)は、現在の長崎県南島原市(旧・肥前国高来郡)出身で常盤山部屋及び玉垣部屋に所属した力士[1]。本名、身長、体重は不明。最高位は西関脇鷲ヶ濱音右エ門岳父に当たる。


  1. ^ a b c 常盤山 小平治 力士情報
  2. ^ a b 入幕順幕内力士一行紹介・十六 - 相撲評論家之頁※0452 鷲ヶ濱 音右エ門の項を参照。
  3. ^ 当時の四股名は、鷲ヶ濱 音右エ門だった。
  4. ^ 他に1863年11月に西小結で7勝0敗2分,1864年4月に西関脇で7勝1敗1預1休と優勝同点の成績を残しているが、いずれも番付上位者優勝制度により(1863年11月は鬼面山谷五郎〈当時東関脇。のち第13代横綱。この場所7勝0敗2分〉。1864年4月は不知火光右衛門〈当時西大関吉田司家より横綱免許を貰っていたため第11代横綱でもあった。この場所7勝1敗2休〉)優勝をさらわれている。


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