島津久武 (旗本)とは? わかりやすく解説

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島津久武 (旗本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 02:20 UTC 版)

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島津 久武(しまづ ひさたけ、寛文7年(1667年) - 正徳3年9月1日1713年10月19日))は、江戸時代前期の旗本。島津久富(主膳)の3男。第5代佐土原藩主(番代)で後に旗本寄合席となった島津久寿の弟で養子。幼名は長菊丸、通称は又十郎、主税。妻は大岡忠高の娘。実子は島津長次郎ほか3子。養子は島津久睦(第6代藩主島津惟久の庶長子)

生涯

父・島津久富は佐土原藩第2代藩主島津忠興の次男であった。元禄6年(1693年)に兄の旗本寄合席家の家督を継ぎ、元禄7年(1694年)に徳川綱吉へ初御目見えを得る。

元禄10年(1697年)、第6代藩主島津惟久の庶長子である堯麟坊(久睦)を養子とした。正徳3年(1713年)に死去した。享年46。法名は秀月。




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