山本英早
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やまもと ひではや
山本 英早 |
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生誕 | 享保元年(1716年) 摂州浪華 |
死没 | 寛政10年(1798年)7月 |
国籍 | ![]() |
職業 | 柔術家、大坂城同心 |
流派 | 真之神道流 |
影響を受けたもの | 楊心流 |
影響を与えたもの | 天神真楊流 |
山本 英早(やまもと ひではや、享保元年(1716年) - 寛政10年(1798年)7月[1])は江戸時代の武士、柔術家。大坂城同心であり、真之神道流の流祖である。摂州浪華の人である。通称は民左衛門。名は英草とも[1]。
山本は萩原郷右衛門元吉から楊心流を学んだ。
起倒流の滝野遊軒を破りその道場をつぶした。それについては『紀藩柔咄集』に「今の世の中に、起倒流といって行わるる柔というもの有り。是は、山本為左衛門という者、大坂にて楊心流という柔の指南し居たりける。爰に滝野専左衛門貞孝という者も、稽古道場を建立したりしが、為左衛門と仕合して打ち負け、稽古場打ち潰されける。」と記してある。滝野はその後江戸に移って名を上げた。
脚注
参考文献
- 今村嘉雄編『日本武道全集』 第五巻
- 『紀藩柔咄集』
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