小田桐忠治とは? わかりやすく解説

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小田桐忠治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 14:09 UTC 版)

日本工業倶楽部 編『会員写真帖 : 創立二十年記念』(1938)より

小田桐 忠治(おだぎり ただはる、1882年明治15年〉7月21日[1] - 1946年昭和21年〉3月[2])は、明治から昭和時代の実業家

経歴

小田桐繁太郎の長男として北海道に生まれ、1907年(明治40年)分家する[1][3][4][5][6][7][8]函館商業学校を卒業し、1918年(大正7年)樺太汽船を設立する[9]

同社常務取締役、日本採炭窯業取締役、東京湾汽船取締役・社長、犬上商船取締役、日産汽船専務取締役・同社社長、大島観光事業代表などを歴任した[1][3][4][5][6][7][8]。墓所は多磨霊園

脚注

  1. ^ a b c 『人事興信録 第10版 上』、お33頁
  2. ^ 日正汽船株式会社 1993, 354頁.
  3. ^ a b 『人事興信録 第8版』、お30頁
  4. ^ a b 『人事興信録 第9版』、お33頁
  5. ^ a b 『人事興信録 第11版 上』、お37頁
  6. ^ a b 『人事興信録 第12版 上』、お29頁
  7. ^ a b 『人事興信録 第13版 上』、お32頁
  8. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』、お31頁
  9. ^ 生田 1939, 41頁.

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第9版、人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第10版 上、人事興信所、1934年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第11版 上、人事興信所、1937年。
  • 生田盛『戦時下の人的資源 財界篇 第1巻』現実社、1939年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1029363 
  • 人事興信所編『人事興信録』第12版 上、人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第13版 上、人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、人事興信所、1943年。
  • 『日正汽船50年の歩み』日正汽船株式会社、1993年。 



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