寺津村連続保険金殺人事件
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寺津村連続保険金殺人事件(てらづむられんぞくほけんきんさつじんじけん)は、1906年から1912年1月24日にかけて発生した連続保険金殺人事件[1]。
事件
1912年1月24日、山形県東村山郡寺津村(現:天童市南西端)の地主・鈴木正三宅で正三の姉・もえが死亡[2][1]、死因に不審を抱いた警察が正三を取り調べると、亜硫酸入りの団子を食べさせた事が判明[1][2]、正三はもえに2500円[注釈 1]と3000円[注釈 2]の生命保険をかけており、保険金取得のための殺人であった[1]、警察当局はさらに正三を追及した、6年前から正三の家では4人が次々と不審死しており、正三は4人を保険金目当てで毒殺したことを自供した[1]、最初の犯罪は1906年5月29日に末弟・登一郎の毒殺を毒殺したことであり[3]、正三は5000円[注釈 3]の保険金を得たことで味をしめた[1]、同年8月18日に妊娠中の妻くのを毒殺し保険金5000円を取得[3][1]、1908年8月31日には次弟・庄太郎を毒殺し保険金1500円[注釈 4]を取得[3]、1908年12月10日には長女・やえ(18歳)を毒殺し1000円[注釈 5]を取得[1][3]また後妻のきみの弟である徳之助も毒殺しようと2回試みたが、機会がなく果たすことが出来なかった[1][3]。犯行発覚時、正三は38歳であり郡会議員まで務めた村の名士であったことが、犯行の発覚を遅らせたという[3][1]、毒殺の凶器として使われた亜砒酸は叔父の医者から入手[1]、叔父も共犯の容疑者として逮捕されたが、正三の単独犯であることがわかり無罪となった[1]。1912年2月6日に正三に死刑判決が言い渡され[4]、1914年1月25日に死刑が執行された[4]。
関連項目
保険金を動機としたシリアルキラーによる連続殺人
脚注
注釈
出典
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