寺津村連続保険金殺人事件とは? わかりやすく解説

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寺津村連続保険金殺人事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 22:50 UTC 版)

寺津村連続保険金殺人事件(てらづむられんぞくほけんきんさつじんじけん)は、1906年から1912年1月24日にかけて発生した連続保険金殺人事件[1]

事件

1912年1月24日、山形県東村山郡寺津村(現:天童市南西端)の地主・鈴木正三宅で正三の姉・もえが死亡[2][1]、死因に不審を抱いた警察が正三を取り調べると、亜硫酸入りの団子を食べさせた事が判明[1][2]、正三はもえに2500円[注釈 1]と3000円[注釈 2]の生命保険をかけており、保険金取得のための殺人であった[1]、警察当局はさらに正三を追及した、6年前から正三の家では4人が次々と不審死しており、正三は4人を保険金目当てで毒殺したことを自供した[1]、最初の犯罪は1906年5月29日に末弟・登一郎の毒殺を毒殺したことであり[3]、正三は5000円[注釈 3]の保険金を得たことで味をしめた[1]、同年8月18日に妊娠中の妻くのを毒殺し保険金5000円を取得[3][1]、1908年8月31日には次弟・庄太郎を毒殺し保険金1500円[注釈 4]を取得[3]、1908年12月10日には長女・やえ(18歳)を毒殺し1000円[注釈 5]を取得[1][3]また後妻のきみの弟である徳之助も毒殺しようと2回試みたが、機会がなく果たすことが出来なかった[1][3]。犯行発覚時、正三は38歳であり郡会議員まで務めた村の名士であったことが、犯行の発覚を遅らせたという[3][1]、毒殺の凶器として使われた亜砒酸は叔父の医者から入手[1]、叔父も共犯の容疑者として逮捕されたが、正三の単独犯であることがわかり無罪となった[1]。1912年2月6日に正三に死刑判決が言い渡され[4]、1914年1月25日に死刑が執行された[4]

関連項目

保険金を動機としたシリアルキラーによる連続殺人

脚注

注釈

  1. ^ 現在[いつ?]の貨幣価値で270万円。
  2. ^ 現在[いつ?]の貨幣価値で約320万円。
  3. ^ 現在[いつ?]の貨幣価値で約540万円。
  4. ^ 現在[いつ?]の貨幣価値で約160万円。
  5. ^ 現在[いつ?]の貨幣価値で約100万円。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 東京法経学院出版『事件・犯罪大事典 : 明治・大正・昭和』1986年8月、NDLJP:11896699/57
  2. ^ a b 尾佐竹猛『法窓秘聞』1937年、NDLJP:1268409/200
  3. ^ a b c d e f 尾佐竹猛『法窓秘聞』1937年、NDLJP:1268409/199
  4. ^ a b 山形県警察史編さん委員会 編『山形県警察史 上巻』1967年、NDLJP:3021956/627



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