宝鏡寺理久とは? わかりやすく解説

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宝鏡寺理久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/26 01:11 UTC 版)

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宝鏡寺理久(ほうきょうじりきゅう、? - 享徳3年6月24日1454年7月19日))は、室町時代前期の女性尼僧室町幕府第3代将軍・足利義満の娘。同第4代将軍・足利義持と同第6代将軍・足利義教らの妹。法名は桂芳久公。法諱は恵久とも[1]

生涯

父は足利義満。生母は不明。生年に関しては応永3年(1396年)か応永8年(1401年)の2説がある[1]。叔母にあたる宝鏡寺恵照の跡を継いで、尼五山の首席・景愛寺の長老となった[1]永享11年(1439年)2月、景愛寺を退いて建聖院で衆僧の礼を行ない、宝鏡寺に帰住した[1]。享徳3年(1454年)6月24日に死去。享年は59か54[1]

文明18年(1486年)に33年忌仏事が行なわれている(『陰凉軒日録』)。

脚注

  1. ^ a b c d e 臼井信義 『足利義満』(新装版) 吉川弘文館〈人物叢書〉、1989年、255-256頁。ISBN 4-642-05150-3 



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