宝清寺 (あきる野市)とは? わかりやすく解説

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宝清寺 (あきる野市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/23 04:44 UTC 版)

宝清寺

本堂
所在地 東京都あきる野市小川101
位置 北緯35度43分11.4秒 東経139度18分56.4秒 / 北緯35.719833度 東経139.315667度 / 35.719833; 139.315667座標: 北緯35度43分11.4秒 東経139度18分56.4秒 / 北緯35.719833度 東経139.315667度 / 35.719833; 139.315667
山号 水谷山
宗派 日蓮宗
本尊 十界曼荼羅
創建年 元和年間 (1615 - 1624)
開山 法清院日億上人
正式名 日蓮宗水谷山寶清寺
法人番号 8013105000220
宝清寺
宝清寺 (東京都)
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宝清寺 (ほうせいじ)は、東京都あきる野市に所在する日蓮宗の寺院。山号は水谷山(すいこくざん)。旧本山は身延山久遠寺。千駄ヶ谷合師法縁。

歴史

宝清寺は、西多摩では唯一の日蓮宗身延山久遠寺の末寺で、開山は法清院日億上人、開基は青木勘左衛門(武田勝頼の縁者)。甲州武田勝頼の滅亡後、その青木勘左衛門は、八王子城落城後、関東に入国した徳川家康に見出されてこのあきる野市小川の地を賜った。勘左衛門は、戦国時代に滅んだ武士達の霊を弔うために出家し、元和年間 (1615 - 1624) 故郷甲斐国雨利郷(甘里)にあった東照山教林寺をこの地に移し東照山法清寺と号し創立した。境内地は武蔵七党の1つである西党の小川氏の居城・小川城の跡とされている[1]

最初は、東照山と号していたが、宝永年間 (1704 - 1711) 九世圓妙院日亮上人の代に、東照山とは徳川家に対して畏れ多い山号だとして、領主水谷信濃守より身延山に申し出て、寺禄等を寄進して祈願処としたことにより水谷山寶清寺と改められたといわれる[注釈 1]

所在地

  • 東京都あきる野市小川101

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 新編武蔵風土記稿』にも記述あり[2]

出典

  1. ^ 『日本城郭大系』による
  2. ^ 新編武蔵風土記稿小川村.

参考文献

  • 「小川村」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ107多磨郡ノ19、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763992/19 

関連項目

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