定州北平郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 09:00 UTC 版)
北魏の孝昌年間(525年 – 528年)に、中山郡から蒲陰・北平・望都の3県を分離して北平郡とした。定州に属し、郡治(役所)は北平城に置いた。 隋の時代になると、冀州の博陵郡に合併され、それ以後は郡としての名は見られなくなり、北平県だけがしばらく存続した。
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