安藤基能とは? わかりやすく解説

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安藤基能

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/13 09:34 UTC 版)

安藤 基能(あんどう もとよし、生年不詳 - 元亀3年12月22日1573年1月25日))は、戦国時代武将安藤家重の長男。妻は石川清兼の娘。子に直次[1]重信、次基、山田吉勝妻がいる[2]。通称杢助

略歴

徳川家康に仕え、旗奉行を務めた。元亀3年(1572年)12月22日、三方ヶ原の戦いで討死[3][4]

法名道賢[2]

参考文献

  • 『日本外史下』(有朋堂書店、1921年、p.640)
  • 『新訂寛政重修諸家譜17』(続群書類従完成会、1965年、p.168)

脚注

  1. ^ 20世紀日本人名事典. “安藤基能とは”. コトバンク. 2022年10月7日閲覧。
  2. ^ a b 続群書類従完成会 1965, p. 168.
  3. ^ 三河桑子城”. 2022年10月7日閲覧。
  4. ^ 有朋堂書店 1921, p. 640.



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