奥間大親とは? わかりやすく解説

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奥間大親

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/10 23:02 UTC 版)

奥間 大親(おくま うふや、生没年不詳)は、14世紀1320年頃)の中世琉球における人物。後に初代中山王となる察度の父親と伝えられる。

概要

三国統一以前で初代中山王を名乗る察度の父で、中城村の小さな集落、奥間で生まれ育ち、後に浦添間切の謝名村(現在の宜野湾市真志喜)に移り住む。

天女を妻とした(羽衣伝説)などさまざまな言い伝えがあるが、はっきりとした生い立ちは判明していない。

家族

  • 妻 - 英慈王(英祖王統3代目)の次女・真銭金(マガニガニ)で、身を隠すために天女と呼ばれたともいわれている。
    • 長女 - 天茶添按司加那志
    • 長男 - 察度
  • 後妻
    • 次男 - 泰期(金満按司)
    • 三男 - 天久按司慎拍

伝説

中山世鑑』には以下の伝説が載っている。

ある夏の夕暮れに奥間大親という貧しい農夫が、森の川を訪れると泉で水浴びしている天女を見つけ、とっさにそこにあった天女の羽衣を隠し、困った天女に「羽衣が見つかるまで私の家にいるといい」と言って家へ連れていき、いつしか二人の間には一男一女が生まれた。ある日、娘が「お母さんの羽衣は、倉の中にある」という子守唄を歌っているのを聞いた天女は、倉から羽衣を見つけ出して身にまとい、天上に舞い上がっていった。大親と子供たちは泣きながら戻ってくるように言うが、天女はやがて雲のかなたへと消えていった。この伝説になぞらえて、宜野湾市海浜公園で毎年8月上旬にはごろも祭りを開催している。

現在

森川公園(沖縄県宜野湾市真志喜1丁目24-1)にある西森御嶽の石門裏手にある洞窟に祀られている。また、記念碑の西森記碑もある。交通は那覇空港から約14.8km(約30分)、高速は西原インターチェンジが最寄り。

参考文献

  • 宮城栄昌『沖縄の歴史』NHKブックス、1975年
  • 慶留間知徳『琉球祖先宝鑑』琉球史料研究会、1962年

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