大通院 (埼玉県皆野町)とは? わかりやすく解説

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大通院 (埼玉県皆野町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/27 16:47 UTC 版)

大通院
本堂
所在地 埼玉県秩父郡皆野町下日野沢4059-1
位置 北緯36度4分52.0秒 東経139度4分53.5秒 / 北緯36.081111度 東経139.081528度 / 36.081111; 139.081528座標: 北緯36度4分52.0秒 東経139度4分53.5秒 / 北緯36.081111度 東経139.081528度 / 36.081111; 139.081528
山号 高松山[1]
院号 大通院
宗派 曹洞宗[1]
本尊 釈迦如来[1]
創建年 室町時代末期
開山 悟宗純嘉
開基 逸見義常
法人番号 5030005015110
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大通院(だいつういん)は、埼玉県秩父郡皆野町にある曹洞宗寺院

歴史

室町時代末期、逸見義常の開基である。義常は高松城の城主であり、後北条氏に仕えていた。義常は平時は屋敷に住んでおり、その屋敷を寺院化したのが当院の起源である[2]

逸見氏は元は甲斐国に住んでおり、武田氏と同じ甲斐源氏であったが、武田信虎を嫌って当地に移住したという。当院の本寺は甲斐国山梨郡(現・山梨県山梨市)にある永昌院である。第5世住職までは、永昌院住職と同一人物が就任していたという[2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 下日野澤村.
  2. ^ a b 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅱ』埼玉新聞社、1981年、50-55p

参考文献

  • 敏蔭英三 写真、秋山喜久夫 文『写真紀行 埼玉の寺 Ⅱ』埼玉新聞社、1981年
  • 「下日野澤村 大通院」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ261秩父郡ノ14、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:764014/37 



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