大泉寺_(長野県木曽町)とは? わかりやすく解説

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大泉寺 (長野県木曽町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/24 13:57 UTC 版)

大泉寺
所在地 長野県木曽郡木曽町三岳下殿6353
位置 北緯35度40分43.3秒 東経137度37分35.7秒 / 北緯35.678694度 東経137.626583度 / 35.678694; 137.626583座標: 北緯35度40分43.3秒 東経137度37分35.7秒 / 北緯35.678694度 東経137.626583度 / 35.678694; 137.626583
山号 神護山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 聖観世音菩薩
創建年 天正6年(1578年
正式名 神護山 大泉寺
別称 大泉禅寺
札所等 木曾西国三十三観音霊場十五番
法人番号 4100005007638
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大泉寺(だいせんじ)は 長野県木曽郡木曽町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は神護山。本尊は聖観世音菩薩木曾西国三十三観音霊場十五番。

歴史

天正6年(1578年)に大泉庵として創建とされるが、正式な創建の年月日や、開山・開基は不詳である。

木曽福島長福寺の末寺である。

寛政元年(1789年)、楚龍によって再建された。

木曾御嶽山中興阿闍梨の覚明の菩提所である。

境内

境内の坪数は、290坪である。

本堂

本堂は庫裏を合わせて一棟で、間口は十四間、奥行は六間の板屋である。

観音堂

由緒は不詳。本尊は十一面観音菩薩である。堂は板屋造りで、間口は三間、奥行は二間三尺。

明治24年(1891年)に観音堂が再建された。

覚明行者の供養塔

天保9年(1838年)に黒沢の講中によって建てられた供養塔で、数多く建立された覚明行者の碑の中では最も古いものである。

文化財

外部リンク

参考文献

  • 『三岳村誌 上巻』 第二章 三岳村の民俗 九 信仰 (四)大泉寺 p463~p465 三岳村誌編さん委員会 昭和62年

脚注





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