大宮姫 (大内義興の娘)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 10:19 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動大宮姫(おおみやひめ、生年不詳 - 天正5年5月12日[1](1577年5月29日))は、大内義興の娘[1]で、吉見隆頼と吉見正頼の正室。
生涯
大内義興の娘として生まれ、大内氏家臣の吉見隆頼に嫁ぐ。しかし、天文9年(1540年)に夫が横死したため、吉見氏の家督を継いだ吉見正頼(隆頼の弟)の正室として再嫁し、吉見広頼を産んだ[1]。
天正5年(1577年)5月12日に死去[1]し、津和野城下に葬られた[1]。法名は栄誉信盛[1]。
脚注
参考文献
- 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社山口支社編、三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。全国書誌番号:73004060。NCID BN07835639。OCLC 703821998。
国立国会図書館デジタルコレクション
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