台湾青年社とは? わかりやすく解説

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台湾青年社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/31 06:17 UTC 版)

台湾青年社(たいわんせいねんしゃ)は1960年2月28日明治大学講師であった王育徳らを中心に日本で結成された団体。雑誌『台湾青年』を発行した。のちに台湾青年への改称を経て台湾青年独立連盟となり、1970年の台湾独立聯盟(略称: WUFI、のちの台湾独立建国連盟)設立に参加して合流した。


注釈

  1. ^ 『台湾青年』創刊号には本名の王育徳名義で「台湾語講座」、林海水のペンネームで「匪寇列伝 : 朱一貴」を寄稿[3]
  2. ^ 黄昭堂は苟不教のペンネームで「キプロスとセイロン」を創刊号に寄稿[3]
  3. ^ 廖春栄は耕英のペンネームで「台湾農業に関する―分析」を創刊号巻頭に寄稿[3]
  4. ^ 許世楷はペンネームに孫明海がある[3]
  5. ^ 周英明はペンネームに十心、高見信がある[3]
  6. ^ 第110号の奥付参照。第93号(1968年8月号)から第109号(1969年12月号)までは表紙に「欧州台湾独立連盟、全美台湾独立連盟、在加台湾人権委員会、台湾青年独立連盟 共同機関誌」と掲げていた[5]

出典

  1. ^ 台湾語常用語彙 (永和語学社): 1957|書誌詳細|国立国会図書館サーチ”、2023年7月25日閲覧。序文は倉石武四郎
  2. ^ a b 王雪梅(王育徳夫人) (2002年7月18日). “『台湾青年』創刊の思い出”. 認識台湾. 現代文化基金會. 2017年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月25日閲覧。 ※初出は『台湾青年』第500号(停刊記念号)2002年年6月発行。
  3. ^ a b c d e f 許千恵 (2002年8月3日). “わたし達の青春は勇敢な歌”. 認識台湾. 現代文化基金會. 2017年10月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月30日閲覧。 ※初出は『台湾青年』第500号(停刊記念号)2002年年6月発行。
  4. ^ 歴史・沿革 : 台灣独立建国聯盟日本本部年表”. 台湾独立建国聯盟日本本部 (2022年4月). 2023年7月25日閲覧。
  5. ^ 台湾青年【全号まとめ】NDLJP:7976797 - 国立国会図書館デジタルコレクション.


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