古市但馬公とは? わかりやすく解説

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古市但馬公

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/29 12:17 UTC 版)

 
古市 但馬公
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 不明
氏族 古市氏
胤賢
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古市 但馬公(ふるいち たじまのきみ)は、鎌倉時代後期の僧侶武士興福寺大乗院衆徒である[1]


略歴

古市但馬公は大乗院の衆徒として仕え、1325年正中2年)に発生した九条師教の子・覚尊と一条内実の子・聖信による大乗院門跡の継承争いに際して、覚尊を庇護した。覚尊が門跡争いに敗れた際、古市但馬公は自らの居館を避難先として提供し、覚尊の保護にあたった[2]

この門跡争いは3年に渡り、1327年嘉暦2年)に発生した両者による嘉暦の合戦により興福寺の金堂を含む諸堂を消失し、その責任を問われた聖信が隠岐に配流されたことにより、覚尊の勝利で幕を閉じた。以降門跡継承は九条・一条両家隔度と定められた[3]

嘉暦の合戦は、覚尊と聖信が不在時に発生しており、兵力の中心は古市氏を代表とする門徒や坊人が中心となり勃発したとされる[4]

脚注

  1. ^ 『奈良市史 通史2』、奈良市史編集審議会 編、1994年、443-444頁
  2. ^ 『春日社家祐臣記』、中臣祐臣、正中二年
  3. ^ 『春日社家日記 : 鎌倉期社会の一断面 (国民生活記録叢書)』、永島福太郎、1947年、125頁
  4. ^ 『牡丹と藤 : 摂家門跡家よりみた興福寺史 第3巻』、松園裕、1998年、114頁



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