半田水晶とは? わかりやすく解説

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半田水晶

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/04 13:54 UTC 版)

半田 水晶
Mizuki Handa
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1997-10-14) 1997年10月14日(27歳)
出身地 群馬県
身長 167.5cm
体重 72.6kg
選手情報
登録番号 015939
所属 日本競輪選手会茨城支部
ホーム 取手競輪場
期別 128期
脚質
登録地
2025 - 茨城
選手情報 KEIRIN.JP
■最終更新日:2025年7月31日  テンプレートを表示

半田 水晶(はんだ みずき、1997年10月14日 - )は、女子競輪選手日本競輪選手会茨城支部所属、ホームバンクは取手競輪場。師匠は芦澤大輔(90期)。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第128期生。

来歴

群馬県出身。筑波大学大学院卒。大学院卒業後は染めQテクノロジィに就職[1]

大学、社会人時代は陸上競技・円盤投げのトップクラスで活躍。インカレ、日本選手権では表彰台に上がった。2017年ガールズグランプリ(平塚)で、先行する奥井の姿を見て感動。結果2着だったが、当時は大学生だった半田のアスリート魂を激しく揺さぶった[1]

染めQテクノロジィは2023年末に退職[1]。日本競輪選手養成所には適性試験で合格、第128回生として入所。第3回記録会ではゴールデンキャップを獲得。

2025年5月2日、熊本FII(競輪ルーキーシリーズ)でデビュー、3着。初勝利は翌3日。次戦であった5月16日からのいわき平FIIでは初日に落車、2日目以降は途中欠場。結局、その次の四日市FIIも負傷欠場し、ルーキーシリーズは4走(うち完走は3回)したのみに留まった。

2025年6月30日、川崎FIで本格デビュー。ただ、当日のガールズは2レースとも落車が相次ぎ失格も含めて途中欠場者が6名も発生したことで翌7月1日の2日目以降は補充が間に合わずレースカットとなり、第6レースで5着に終わった半田も止む無く強制的に途中欠場の憂き目に遭い[2][注釈 1]、本格デビュー場所は初日の1走だけで終わった。ただ、次戦である7月19日、地元・取手FIIでの決勝戦では、憧れであった奥井迪らを相手に打鐘すぎから逃げて1着となり、本格デビュー2場所目で初優勝を飾った[3]

脚注

注釈

  1. ^ 競輪は1レース最低5車立てと決められているため、欠員が発生した場合、補充を加えてもなお選手が不足するときは通常は5車立て・6車立て(欠車)でレースを行うが、今回のようにガールズの通常開催では5名以上の途中欠場が発生した場合、成績下位の選手を強制的に途中欠場(俗に言う「お帰り」)させレースカットする。

出典

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