加藤明治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:25 UTC 版)
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時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 寛文5年(1665年) |
死没 | 正徳元年12月2日(1712年1月9日) |
官位 | 従五位下周防守 |
藩 | 近江水口藩世嗣 |
氏族 | 加藤氏(嘉明系) |
父母 | 加藤明友 加藤明英 |
兄弟 | 明英、溝口政親、明治 |
妻 | 松平信通養女 |
子 | 嘉矩、明喬 水野忠昭正室 |
加藤 明治(かとう あきはる)は、江戸時代中期の近江国水口藩の世嗣。官位は従五位下・周防守。
略歴
初代藩主・加藤明友の三男として誕生。
水口藩庶子として生まれ、貞享元年(1684年)徳川綱吉に拝謁して新封1000俵を賜る。元禄元年(1688年)には中奥小姓となり、元禄6年(1693年)叙任。元禄10年(1697年)には新知1000石を給されたが、元禄15年(1702年)に子のなかった兄で2代藩主・加藤明英の養子となった。しかし、家督相続前の正徳元年(1711年)に死去。
代わって、長男・嘉矩が嫡子となった。
系譜
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