劉懋_(北魏)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 劉懋_(北魏)の意味・解説 

劉懋 (北魏)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 02:13 UTC 版)

劉 懋(りゅう ぼう、生年不詳 - 517年)は、北魏官僚学者は仲華。本貫彭城郡彭城県叢亭里。従兄弟は劉思祖劉廞

経歴

南朝宋に仕えた劉承伯(北魏の太常卿の劉芳の伯父の劉泰之の子)の子として生まれた。聡明で物わかりが早く、学問を好んで経書史書を広く渉猟し、草書隷書を得意とし、変わった字を多く知っていた。宣武帝の初年に入朝し、員外郎に任じられた。尚書外兵郎中に転じ、軽車将軍の号を加えられた。尚書における議論では、劉懋と殿中郎の袁翻が常に議論を主導した。劉懋は歩兵校尉に転じ、郎中や東宮中舎人を兼ねた。員外常侍・鎮遠将軍に転じ、考功郎中を兼ねた。劉懋は尚書の李平とのあいだに莫逆の友情を結んだ。

516年熙平元年)、李平が軍を率いて硤石を攻撃すると、劉懋は李平の下で行台郎中をつとめた。城を陥落させるにあたって、劉懋は功績を挙げた。洛陽に凱旋すると、孝明帝の命を受けて儀令の選定にあたった。清河王元懌は劉懋が将来北魏の宰相となると見込んでおり、その礼遇は最も丁重であった。劉懋は元懌の諸子の師をつとめた。太尉司馬に転じた。517年(熙平2年)冬、突然の病のため死去した。持節・前将軍・南秦州刺史の位を追贈された。は宣簡といった。編著として器物の造作を解説した『物祖』15巻があった。

子女

  • 劉筠(字は士貞、河南郡丞・中散大夫・徐州大中正・秘書丞を歴任した)
  • 劉筟(字は士文、秘書郎)

伝記資料

  • 魏書』巻55 列伝第43
  • 北史』巻42 列伝第30



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「劉懋_(北魏)」の関連用語

1
100% |||||


3
34% |||||

4
6% |||||

劉懋_(北魏)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



劉懋_(北魏)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの劉懋 (北魏) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS