劉慎虚とは? わかりやすく解説

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劉慎虚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 08:24 UTC 版)

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劉 慎虚(りゅう しんきょ、生没年不詳)は、中国盛唐)の詩人。字は全乙、号は易軒。洪州新呉県(現在の江西省宜春市奉新県)の人[注釈 1]劉眘虚とも表記される。

略歴

唐の玄宗開元年間に科挙博学弘辞科中国語版)で挙げられ、さまざまな官を歴任して崇文館校書郎中国語版となった[1][注釈 2]。洪州刺史の呉兢中国語版は、劉慎虚の行いを称え、その故郷を「孝弟郷」と改称した。

著書として『鶺鴒集』5巻があったが、散佚した。『全唐詩』は詩を15首収録する。

唐の殷璠が編纂した『河岳英霊集中国語版』には11首が収録され、「情幽興遠、思苦語奇。忽有所得、便驚衆聴」と評されている。清の宋婉は「誦劉慎虚詩、勿患其少」と記した[2]

脚注

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注釈

  1. ^ 唐才子伝中国語版』は嵩山の人、『全唐詩』は江東の人とする。清の康煕年間に査慎行が編纂した『西江志』巻六十六に、郭子章中国語版の『豫章書』を引いて「劉慎虚、字全乙、新呉人」とある。
  2. ^ 唐才子伝中国語版』によれば、幼時から文章に通じ、9歳で上疏文が召見されて「童子郎」(神童)と謳われ、開元11年(723年)に進士に名を連ねて洛陽の尉となったとある。しかし傅璇琮中国語版の『唐才子伝校箋』は、この記述に根拠はなく、劉晏の経歴をなぞって付会したものであろうとしている。

出典

  1. ^ 『奉新県志』巻八(同治10年)
  2. ^ 宋婉『友貽堂題辞』

参考文献




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