光照院尊久とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 光照院尊久の意味・解説 

光照院尊久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 09:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

光照院 尊久(こうしょういん そんきゅう、生没年不詳)は、室町時代前期の尼僧室町幕府第3代将軍・足利義満の娘。

生涯

父は足利義満。母は側室慶雲庵主。第4代将軍・足利義持や第6代将軍・足利義教の異母妹にあたる。尊久は早くから尼として光照院御寮と称された[1]応永28年(1421年)3月に義持の正室の日野栄子や義満の側室であった高橋殿らと共に熊野詣に出発している[注釈 1]

足利義教とは関係がかなり良好だったようであり、母が義教の不興を受けながらも彼女は処罰されていない[2]。没年に関しては嘉吉元年(1441年)以降とされている[3]

なお、義満の娘の中では記録が特に多い[4]

脚注

注釈

  1. ^ 看聞日記』では「凡そ女中清選の人々十二人、男女輿四十六丁、その行粧美麗、万人群衆してこれを見る」とある。

出典

  1. ^ 臼井 1989, p. 245.
  2. ^ 臼井 1989, p. 246.
  3. ^ 臼井 1989, p. 283.
  4. ^ 臼井 1989, p. 244.

参考文献

  • 臼井信義 『足利義満』(新装版) 吉川弘文館〈人物叢書〉、1989年。ISBN 4-642-05150-3 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「光照院尊久」の関連用語

光照院尊久のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



光照院尊久のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの光照院尊久 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS