伊藤武七郎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 伊藤武七郎の意味・解説 

伊藤武七郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/10 07:59 UTC 版)

伊藤 武七郎(いとう ぶしちろう、1868年7月23日(明治元年6月4日[1])- 1936年昭和11年)10月26日[2][3])は、大正から昭和前期の大地主[1][4]政治家衆議院議員東京府荏原郡荏原町長。

経歴

武蔵国荏原郡下蛇窪村[1]東京府荏原郡平塚村、平塚町、荏原町、東京市荏原区を経て現東京都品川区)で、地主・伊藤受房の二男として生まれる[1]。父は杜松斎景湖と名乗り寺子屋を開いていた。攻玉社中学校(現攻玉社中学校・高等学校)で学んだ[2][注釈 1]。1917年(大正6年)5月に家督を相続した[1]

平塚村内堀普通水利組合議員、同村会議員、同耕地整理組合長、荏原郡会議員、荏原町長、東京府会議員(4期)、同副議長、土地貸借価格調査委員、品川普通水利組合会議員、東京市会議員、同参事会員、荏原区公民学務委員などを務めた[1][2][3][4]

1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙に東京府第5区から立憲民政党公認で出馬して当選し[2][3][4]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。議員在任中の1936年10月に死去した[5]

人物

宗教浄土真宗

脚注

注釈

  1. ^ 『粛正選挙代議士名鑑』12頁では独学。

出典

  1. ^ a b c d e f 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』イ之部19頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』47頁。
  3. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴』34-35頁。
  4. ^ a b c 『粛正選挙代議士名鑑』12頁。
  5. ^ 『官報』第2954号、昭和11年11月5日。

参考文献

  • 『昭和十一年度版 帝国人事大鑑』帝国日日通信社、1935年。
  • 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
  • 衆議院事務局編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  伊藤武七郎のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「伊藤武七郎」の関連用語

伊藤武七郎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



伊藤武七郎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの伊藤武七郎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS