京王電気軌道501形電車
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京王電気軌道501形電車(けいおうでんききどう501がたでんしゃ)は、現在の京王電鉄京王線に相当する路線を運営していた京王電気軌道(京王電軌)が1939年(昭和14年)から1940年(昭和15年)にかけて投入した電車である。
注釈
- ^ 府中駅 - 東八王子駅間を開業した子会社の玉南電気鉄道から継承した車両であった。
- ^ ただし155 - 160は1934年に主電動機4個化の際、台車をモーターごと125 - 130に転用している。
- ^ 多くの文献で併記されているように、A-1台車は京王社内では「H-1」とも言われていた。その際にA-2を「A-1」と呼ぶなど区別がややこしかったため、間違えている人も多かったという[4]。
- ^ 合葉・永井(1993)P.157掲載のイラスト10では、501のパンタグラフを八王子向きとして描いている[5]が、宮崎・山下(2020)P.66の写真である通り、戦災を受けるまでは新宿側にパンタグラフがある[2]。
- ^ 同日の空襲では2500も焼失している。
- ^ デハ2502の竣工図[6]では全室にすることができる構造になっている。
- ^ サハ2502と組むサハ2552は、戦災復旧車体新造車のデハ2304を改造している。
- ^ 鈴木(2008)p.28[6]に掲載された、1962年に鈴木自身が撮影したデハ2307の写真では、パンタグラフが高松吉太郎による1946年の写真[7]や、鈴木自身が記録した1959年の編成表[8]と異なり運転台側に移設されていることがわかる。
出典
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』飯島正資「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄」(※『鉄道ピクトリアル』1955年4月号(通巻第45号)、5月号(通巻第46号)より再録)] p.50-51
- ^ a b 宮崎繁幹・山下和幸編『京王帝都電車回顧 第2巻』p.66
- ^ 宮崎繁幹・山下和幸編『京王帝都電車回顧 第2巻』p.68
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2003年7月臨時増刊号(通巻734号)合葉清治「京王中型車の思い出」 p.197
- ^ 『鉄道ピクトリアル』1993年7月臨時増刊号(通巻578号)合葉博治・永井信弘「イラストで見る京王電車:1950」 p.157
- ^ a b 鈴木洋『【RM LIBRARY 111】京王線14m車の時代』p.28
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.35
- ^ 鈴木洋『【RM LIBRARY 111】京王線14m車の時代』p.7
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺 p.112
- 1 京王電気軌道501形電車とは
- 2 京王電気軌道501形電車の概要
- 3 参考文献
- 4 脚注
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