五条経子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 五条経子の意味・解説 

五条経子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/13 09:55 UTC 版)

五条 経子(ごじょう つねこ、1674年1月17日延宝元年12月11日) - ?)は、霊元天皇後宮。父は権大納言の五条為庸[1]。姉は霊元天皇の掌侍の五条庸子。おひさ御料人、菅中納言局と称す。菅原経子とも呼ばれる。

生涯

権大納言の五条為庸の娘として生まれる。

1683年天和3年)に霊元天皇に仕え、おひさ御料人と称し、後に菅中納言局と改称[2]。2皇子(常磐井宮・性応法親王)と2皇女(文喜女王・元秀女王)を儲ける。没年は不明[2]

脚注

  1. ^ 五条家(半家)”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2021年1月15日閲覧。
  2. ^ a b 「日本人名大辞典」(講談社



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  五条経子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「五条経子」の関連用語

1
14% |||||

五条経子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



五条経子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの五条経子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS